8時間労働の起源 [ちょっと雑学]
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時々、何で8時間も労働しているのか?
とか、正社員で雇われると何で8時間なのか?
と疑問を感じていたんですが。
別に、、、4時間の正社員がいても良いと思うし、忙しくない時期なんかは6時間いや、
3時間で帰っても良い日があっても良いんじゃないかと思うんですよ。
正社員で働いていた時に感じていました。
で、こんな時間を対価に変えて働く、労働者のスタイルはいつから確立したのか?
ちょっと調べてみたら、時間労働の概念を生んだのは約500年前、イギリスが発祥みたいです。
もとは「王様の勅令」で、労働時間は朝の5時から夜8時までと定められ、その間に休息を2時間設けてやれよ、、、と。
最初は実働13時間だったようです。
うわー長ぇ~~!
といっても、当時はテレビなどの娯楽もなく、灯りの燃料も高価で貴重だからすぐ寝てたそうですし、労働の質が現在とこれまた違うので、一概に時間の部分だけを見て比較できないところもありますが。
そして時を経て、18世紀末から19世紀初頭の産業革命(今から約250~200年前くらい)を迎えると、1日14時間労働は当たり前。
長い時は18時間、19時間も働いてたそうで、、、ん?
今の日本じゃんってwww
資本主義の根本的考え方として
「より多く働かせて、より多く生産させた方が良い」
っていうのがあるんですが、もちろん人間をこんなに酷使させると理論のように上手く行くはずがなく、能率低下や健康被害が続出。
「過労死」という言葉こそなかったんですが、当時のヨーロッパは労働に伴う健康被害で死人続出だったようで、仕事に殺されていたというこの悪夢。
もう人間としての生物的崩壊の弊害が目に見えて来たので、労働条件を改善しようという動きが起こったようです。
それが、、、今の8時間労働の流れになったんですが、その歴史 →
◎1833年:工場法(イギリス)
9歳未満の児童労働を禁止。
9歳以上~18歳未満の青少年の労働時間を週69時間以内に制限。
工場監督官制度の導入。
◎1838~1847年:10時間法(イギリス)
労働者階級による政治運動(チャーティスト運動)。
世界初の労働争議、労働者による政治闘争とも言われる。
これにより、全労働者の日当たり労働時間の10時間制を実現。
◎1856年:建築職人8時間協約(オーストラリア)
当時まだイギリス領だったオーストラリアの首都メルボルンで行われた建築職人たちによる労働争議運動。
8時間労働を求めて大規模デモ行進。ここで初めて8時間労働を要求する形に、、、
(※現在のオーストラリアの首都はキャンベラ。旧首都メルボルンと、最大都市シドニーとの間で独立時の首都争いをした結果、両者の中間位置に新しい街を作りましょうと妥結して出来た街が今の首都だというのは余談ですw)
◎1886年:シカゴのメーデー
アメリカ有数の大都市シカゴの約1万社、約35万人の従業員たちが「8時間労働」を要求してストライキに突入。
当時まだ12~15時間労働が当たり前だった時代に、、、
1:仕事のための8時間
2:休息のための8時間
3:そして人間らしく暮らせる自分たちのために8時間
を政府、企業に要求するストライキ&デモ行進。
(※日本のいわゆる一般的な労働時間の概念は、ここから。)
◎1890年:第1回国際メーデー(欧米各国)
5月1日、欧米各国の労働者が一斉に「8時間労働」を要求して、ストライキに突入。
現在の国際メーデーに繋がる。
ヨーロッパではもっぱら夏の訪れを祝う日でもあるので、最近はお祭りのような様相かも、、、
ちなみに日本は遅れること30年、1920年に東京・上野公園で第1回メーデーが開催される。
んー何かあれ、世界的に8時間労働にしようってなったのは1890年みたいなんで、今から約120年前なんですね。
1800年代の約100年の間に劇的に労働時間を短縮させたのに、その後約120年間は何もなし。
もうそろそろ、8時間じゃなく6時間、、、いや4時間労働になるようなデモ行進か労働争議は起きても良いんじゃないかとか思うのは私だけでしょうか?
というか、過剰に消費を煽るようなCMが流れて、消費することをしないと行けないような生き方に洗脳されてる状態じゃ、いつまで経っても労働時間は減らないわ。
しかし日本の職場は8時間じゃ済まんってことは、、、
時々、何で8時間も労働しているのか?
とか、正社員で雇われると何で8時間なのか?
と疑問を感じていたんですが。
別に、、、4時間の正社員がいても良いと思うし、忙しくない時期なんかは6時間いや、
3時間で帰っても良い日があっても良いんじゃないかと思うんですよ。
正社員で働いていた時に感じていました。
で、こんな時間を対価に変えて働く、労働者のスタイルはいつから確立したのか?
ちょっと調べてみたら、時間労働の概念を生んだのは約500年前、イギリスが発祥みたいです。
もとは「王様の勅令」で、労働時間は朝の5時から夜8時までと定められ、その間に休息を2時間設けてやれよ、、、と。
最初は実働13時間だったようです。
うわー長ぇ~~!
といっても、当時はテレビなどの娯楽もなく、灯りの燃料も高価で貴重だからすぐ寝てたそうですし、労働の質が現在とこれまた違うので、一概に時間の部分だけを見て比較できないところもありますが。
そして時を経て、18世紀末から19世紀初頭の産業革命(今から約250~200年前くらい)を迎えると、1日14時間労働は当たり前。
長い時は18時間、19時間も働いてたそうで、、、ん?
今の日本じゃんってwww
資本主義の根本的考え方として
「より多く働かせて、より多く生産させた方が良い」
っていうのがあるんですが、もちろん人間をこんなに酷使させると理論のように上手く行くはずがなく、能率低下や健康被害が続出。
「過労死」という言葉こそなかったんですが、当時のヨーロッパは労働に伴う健康被害で死人続出だったようで、仕事に殺されていたというこの悪夢。
もう人間としての生物的崩壊の弊害が目に見えて来たので、労働条件を改善しようという動きが起こったようです。
それが、、、今の8時間労働の流れになったんですが、その歴史 →
◎1833年:工場法(イギリス)
9歳未満の児童労働を禁止。
9歳以上~18歳未満の青少年の労働時間を週69時間以内に制限。
工場監督官制度の導入。
◎1838~1847年:10時間法(イギリス)
労働者階級による政治運動(チャーティスト運動)。
世界初の労働争議、労働者による政治闘争とも言われる。
これにより、全労働者の日当たり労働時間の10時間制を実現。
◎1856年:建築職人8時間協約(オーストラリア)
当時まだイギリス領だったオーストラリアの首都メルボルンで行われた建築職人たちによる労働争議運動。
8時間労働を求めて大規模デモ行進。ここで初めて8時間労働を要求する形に、、、
(※現在のオーストラリアの首都はキャンベラ。旧首都メルボルンと、最大都市シドニーとの間で独立時の首都争いをした結果、両者の中間位置に新しい街を作りましょうと妥結して出来た街が今の首都だというのは余談ですw)
◎1886年:シカゴのメーデー
アメリカ有数の大都市シカゴの約1万社、約35万人の従業員たちが「8時間労働」を要求してストライキに突入。
当時まだ12~15時間労働が当たり前だった時代に、、、
1:仕事のための8時間
2:休息のための8時間
3:そして人間らしく暮らせる自分たちのために8時間
を政府、企業に要求するストライキ&デモ行進。
(※日本のいわゆる一般的な労働時間の概念は、ここから。)
◎1890年:第1回国際メーデー(欧米各国)
5月1日、欧米各国の労働者が一斉に「8時間労働」を要求して、ストライキに突入。
現在の国際メーデーに繋がる。
ヨーロッパではもっぱら夏の訪れを祝う日でもあるので、最近はお祭りのような様相かも、、、
ちなみに日本は遅れること30年、1920年に東京・上野公園で第1回メーデーが開催される。
んー何かあれ、世界的に8時間労働にしようってなったのは1890年みたいなんで、今から約120年前なんですね。
1800年代の約100年の間に劇的に労働時間を短縮させたのに、その後約120年間は何もなし。
もうそろそろ、8時間じゃなく6時間、、、いや4時間労働になるようなデモ行進か労働争議は起きても良いんじゃないかとか思うのは私だけでしょうか?
というか、過剰に消費を煽るようなCMが流れて、消費することをしないと行けないような生き方に洗脳されてる状態じゃ、いつまで経っても労働時間は減らないわ。
しかし日本の職場は8時間じゃ済まんってことは、、、